笹原流

結論:期待をしてはいけない。

本当に偉いのは誰?

~ 頑張った! ~

 

 『はてなHaiku』の方ではちょこっと言ってたんだけど、

土日を使ってちょろっと遠出してまいりました。

どっかの観光地行ったとかでなく、普通に里帰りですが。

 

 仕事終わって家に帰ってきたら色々準備して

土曜深夜(0時回ってたし、既に日曜か…)から出発して、

里の方で送迎とか色々やって

終わった後に身内でご飯食べて

なんか知らないけど、子供たちに妙に懐かれて

なんやかんやで自宅に戻ってきたのが日曜の23時くらい。

 

 

 で、そもそも。何のためにこんな弾丸里帰りをしたかといいますと

祖父の25回忌という節目の法事だったんですよね。

大きな節目だったって事で、

普段呼ばない知り合いなんかにも声をかけていたので

久々に会う親戚や知り合いとの話は替え難い良い時間でした。

 

 そんな訳で、肉体的には結構ハードだったものの

精神的にはとても満たされた感じになったので十分プラス収支かなと。

 

 …とはいえ、休息するべき土日で家に帰ってバタンキューなくらい消耗しちゃったので

月曜日はかなりきつい感じで仕事をしました。

特に月曜は、先週とうって変わって急に寒くなっちゃった為

いつもならそこまできつくないはずなのに、かなり疲労してしまいました。

 

 おかげで、仕事終わって家に帰ってPC前に座るも

いつの間にか「ずびゃ~」って寝てしまってて(寝落ち)

結局更新もままならない感じになってしまいました

…という更新しなかったいい訳(´・ω・`)

 

 

 言い訳は終わったので、こっからが本題。

呆れ切ってない人だけ『続きを読む』でGo! (’▽’)ノシ

 

 

 

 ~本当に偉いのは誰?~

 

 

 というわけで、一休さんの話です(唐突!!)。

といっても、原作でなくアニメ版のお話なのですが。

 

 将軍様や桔梗屋とかからの無理難題を

頓知と機転で痛快に乗り切る、ちょっと昔のコナンくんみたいなお話。

見かけは子供、頭脳は大人(にも勝る)、いつも真実は一つ!…みたいな?。

 

 賢く思いやりのある一休さんが、とんちで痛快に解決するのは

見ていて気持ちいいものなのですが

そこそこ大人になって思い返すと、

みるべき所はそこだけじゃない事に気付いてしまいました。

 

 それは、

「仮にも日本のナンバー1である将軍様が、

    たかだか小坊主ごときの≪屁理屈≫で言い負かされた揚句

             ブチ切れもせずに認める(寛大な心)」

という所です。

 

 その上

「何度≪屁理屈≫に言い負かされようと

それはそれとしてまた挑戦するところ(諦めない心)」

であり、また

「これだけ≪屁理屈≫で言い負かされてるのに、

一休さんの事を全く嫌いになってない(人を愛する心)」

という所も見所かもしれません。

 

 

 あと、それなりのお金持ちである桔梗屋も、将軍様同様≪屁理屈≫を良しとして受け入れ

負けた時はそれ相応にちゃんと謝罪もする所も素晴らしいです。

 

 

 ホント、将軍様や桔梗屋さんがもー少し黒い人物だったのなら、

「屁理屈で愚弄するな!!(怒)。そこに直れ!!」

と物理的に消されてても仕方ないと思うのですよ。

 

…というか、この将軍様以外だったら、間違いなくただじゃ済んでないと思うんだよね。

 

 

 そぉ考えると、確かに柔軟な思考で無理難題を解決する一休さんは凄かったのかもしれませんが、

言うならたかだか寺のちょっと頭のいい小坊主程度の屁理屈で言い負かされても

、己の負けをちゃんと認める、

そんな風に大人…特にそれなりの地位のある大人が子供の屁理屈をちゃんと受け止める所が大事なのではないでしょうか?。

 

 実際、子供がいくら正論を吐いても「子供のくせに生意気言うな!」と逆に怒りだしたり、

同じ大人同士でも立場(役職の上下)が違うだけで意見を全く聞いて貰えなかったり、

そんな理不尽が世間には往々として存在しています。

 

 それなのにナンバー1、特に時の国のナンバー1の将軍様

小坊主程度の屁理屈をちゃんと認める…なんと素晴らしい事なのでしょうか。

 

 つまり、あのアニメは

「子供の言う屁理屈程度にカリカリするな。

大人だったら寛大な心で子供に接するべきだ。

とくにそれなりの立場の大人がそれを率先してやるべきだ!」

…的に、大人としてのあり方を子供向けアニメで伝えたかったんじゃないのでしょうか?

そして、そんな寛大な心を持った大人に

見てる子供たちになって欲しいという願いが篭ってたのではないでしょうか?

 

 「トムとジェリー」もそうですが、子供視線で見てた痛快なお話も

立場の強い方が人知れず折れてあげてる事で成り立ってるだけ。

つまり、一番偉かったのは誰だったのか?

…とか考えちゃうと、見方も全く変わったりして面白いですよね。

 

 

…と長々と書いてはみたものの、

よくよく考えると一休さんはそれなりにお偉いさんの子供だったりするので

(警護役に蜷川新右エ門が就いてる事で、どれだけお偉いか分かるでしょう

いくら将軍様といえど、おいそれと実害を与えれなかったのかなー?とか

ちょっと嫌な面も見えてきちゃったりしています。

 

 いやいや、作品の感じ方は個人それぞれとはいえ、

同じ個人でもタイミング次第で全然違う感想を持ってしまうものですね。

 

 

 

…で、なんで唐突に≪一休さん≫の話をしたかといいますと、

『ブログ更新を一回休んじゃった > 一休み > 一休さん

という極めて分かりやすい感じだったのでございます。

 

…ただ、月曜も疲れて寝落ちしちゃってて

『二休』になっちゃったのは想定外だったのですが(´・ω・`)

 

 

 

 

今日の結論:寛大な将軍様あっての頓知です!